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2017年8月25日 (金)

土方

実家の玄関先の階段はいつも泥だらけである。
階段下に、靴底の泥落としマットを置いてあるのだが、土剥き出しの地べたに置いてあるので、大きな砂粒は落ちても、雨の日などは、粘土質の泥は液体として靴底にむしろ供給され(苦笑)階段を汚し続ける。
親父は、階段にホースで水を撒き、ナイロン箒で掃いて、「毎日掃除している!」と言っているのだが、水で濡れて、タイルが黒光りして見えるだけで、乾くと白い泥の足跡がそのまま残っている。
そもそも、その足跡は、階段の外側にある水栓まで、親父がホースを引っ張って歩く事に因って、地べたから持って来た泥。
掃除をしているつもりで、地面に水を撒き、泥水を作り、それを長靴の底に付けて、玄関先まで持って上がっているのである。
親父の自己満足とは裏腹に、無限泥地獄と化す、実家の玄関前。
いくら『掃除したつもりになっているだけ』と言っても聞かないので、負の連鎖を断つ事にした。
水栓の所まで敷石を置いて砂利を撒き、泥を靴底に付けずに階段に上がれるようにする。
まぁ、耄碌爺は、生活の一部たりとも変えたがらないので、怒る怒る。
勝手な事をするな! 俺がちゃんと掃除をしているんだ!
出来てねぇよ。
客観的事実を見ずに、自分の考えだけで自分のやった事を評価する似非クリエイターの思考は、人間の年齢なら88歳という、うちの半ボケ親父と同じなのだなぁと発見したが、うれしくもなんともない(笑)
後半は、愚図愚図言ってた親父も、穴掘りを手伝い始め、なんとか完了。
しかし、平たいブロックなのに厚みの倍近く深く掘り過ぎるわ、横長の石を無視して幅の狭いまま掘るわで、労力としては助かったが、ブロックを敷く手間は倍増という、予想した通りの展開。
どうにか格好を付けてから帰京したのだが、どうせ俺の居ないところでは、「自分がやった」と吹聴して回るのだろう。
(苦笑)

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